【徒然大塩はん】「聖地巡礼」推し活の旅
それでは、お目汚し記事にお付き合いいただけますれば光栄でございます〜
夏休みが取れたので、巷で噂の「聖地巡礼」に行って参りました。
「聖地巡礼」とは、心惹かれる人や好きな作品の登場人物の足跡を巡ることだそうです。いわゆる「推(お)し活(かつ)」です。
我等が推しは、もちろん大塩はん💕
今回の推し活地に選んだのは、滋賀県高島市。
藤樹記念館が、2025年6月「中江藤樹・たかしまミュージアム」としてリニューアルオープンしたという情報を聞きつけ、これは行かねば!と🐾
Web担当子、初めての高島市訪問に、前日からおやつをかばんに詰め込みながら、ワクワクが止まりません🍫
藤樹先生のこと
ここで、中江藤樹のことを少しご紹介いたします(ほとんどがミュージアム等で入手した資料に載っていることなので、詳しくは、このページの下に記載の資料をご覧くださいね)。
中江藤樹(地元の方々は、親しみと敬意を込めて「藤樹先生」と呼んでらっしゃいましたので、これより先は「藤樹先生」とお呼びすることにします)は、大塩平八郎が生きた時代より約200年前に近江国小川村(現在の滋賀県高島市安曇川町)に生まれ、日本の陽明学の祖と言われる人です。
そう、陽明学と言えば大塩平八郎、大塩平八郎と言えば陽明学!凡人には、難しいあの!陽明学です。難しいからこそ、先生について習いたい。その気持ちはよくわかります。そんな人々が、藤樹先生のもとに多くつどったそうです。う~~ん、羨ましい!
藤樹先生の教えは、
「到良知」(ちりょうち、りょうちにいたる)
「知行合一」(ちこうごういつ)
「五事を正す」(ごじをただす)
「愛敬」(あいけい)
大塩平八郎の乱に詳しい方々には、ご存じの言葉も多いと思いますので、それぞれの詳細は割愛いたします(いつかココで発表できるよう、精進いたしますデス…)
藤樹先生の名前
藤樹先生の名は原、字は嘿軒(もっけん)、通称与右衛門。どこにも「藤樹」という名前がありません。なのになぜ、とうじゅせんせい?
名前の由来は、家にあった藤の巨樹だそうです。その樹は今はなく、木があったあたりには藤棚が作られていました。
由来とされる「藤の樹」、実際は老木(樹木名は不明)に藤が巻き付いたもののようです。藤樹先生の庭に、何の樹が立っていたのか気になりますが、それはまた別のお話。
藤樹先生と加藤家
藤樹先生は、9歳で米子藩主加藤貞泰家臣であった祖父中江吉長の養子となり、米子へ移り住みます。
その後、加藤家の転封に伴い伊予大洲へ。15歳、祖父の死去により、伊予大洲藩の百石取りの武士となります。27歳の時、母の世話と自身の健康を理由に大洲藩に辞職を願い出ますが、何年も返事をもらえなくて(!)、とうとう脱藩して故郷小川村へ戻ってきました。今も昔も勤め人はつらかったのですねぇ。そして、私塾藤樹書院をひらき、41歳で亡くなるまでの十数年間、数多くの門人を育てたそうです。
塾の先生が藤樹先生のお仕事ではなく、酒屋を営んでいらしたそうです。お酒もお強かった!?
「加藤家」「大洲藩」というワードに、おぉ!と思った方が、大塩事件研究会周辺には少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。そのお話は、番外編としてまたいずれ…
文章ばかりじや退屈ですよね。
「藤樹の里」アルバムを少し…

透き通った水が涼しげな「藤樹の里」の風景。いつまでも見ていたい景色です

藤樹先生のお宅があったところ。奥の白い看板あたりに居宅跡だそうです。左に藤棚があります

藤樹書院。当時の建物は明治の大火で焼失し、現存のものはその数年後に建て替えられたもの。当時はあった縁側部分が無いなど、少し小さくなっているそうです

藤樹神社。藤樹先生をご祭神として大正十一年に建立されました

藤樹先生の墓所のある玉林寺。墓所は、地元の方々がずっと大事に守って来られました。大塩さんも同じ場所で手を合わせられたのでしょうね
さて、推し旅のクライマックスは、中江藤樹・たかしまミュージアム!

高島市のなりたちや藤樹先生をめぐる人々のことなどが、出土品や資料の数々と共に展示・解説されています。冒頭の迫力ある映像で、身も心もいざたかしまワールドへ➡➡➡➡➡
➡➡➡➡➡藤樹先生の展示や映像を存分に拝見し、たどり着いた大塩さんコーナー(?)の展示の前で、思わず声を上げそうになりました。
推し関連のものを目の前にして、盛り上がるのは、「正しい」推し活の姿です🎵🎉
天保の頃、大塩さんは何度も藤樹書院を訪れています。それを示す資料の展示の数々に釘付け👀

大塩さんが藤樹書院へ来られた時、もちろん藤樹先生は随分前に亡くなられています。
藤樹先生の歩いたこの町を大塩さんも歩かれたことでしょう。展示資料によると、天保四年夏六月とありました。192年前の同じ夏に大塩さんがここに!「大塩さん、令和の藤樹の里は、めちゃ暑いです。でも大阪よりも風が通って心なしか涼しいですよ」
天保3年、門弟と藤樹書院を訪れている大塩さん。「洗心洞のフィールドワーク」だったのでしょうか。なんや、大塩さんも推し活してたんやん!
でもさすが大塩さん、並の推し度ではありません。
なんと、天保4年に訪れた際には、藤樹書院の修築費用を寄付しています。その額なんと、15両!そのうえ、王陽明全集もドンとプレゼント。とても立派な全集です。15両を寄付した際の書状や王陽明全集もミュージアムで見ることができます。
『王陽明全集』、大阪から門弟の誰かが担いでいたのかな? めちゃ、重たそうなんやけど…
ぜひ、現地で展示をご覧ください。ミュージアム近辺の藤樹先生のゆかりの地は、歩いてまわるには、ちょうどよい距離感です。
大阪から新快速で約70分。暑さがやわらぎましたら、藤樹先生と大塩さんの歩いた町で、ぜひ推し活を!

近くの道の駅にある「藤樹先生孝養像」
※展示室の写真の掲載については、中江藤樹・たかしまミュージアムの方にご快諾いただきました。感謝申し上げます。
参考:
『中江藤樹入門』近江聖人中江藤樹記念館編
中江藤樹・たかしまミュージアム
『大塩平八郎の乱』藪田貫著
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